オリンピックで活躍するイトマン選手

世界中の国とその肉体及び精神を持って互角に渡り合うことができる競技、競泳。その姿には今日、多くの国民が夢を追い、感動を覚え、勇気を与えられます。私たちイトマンスイミングスクールでは心と体を鍛え、健全な青少年を育成するとともに、世界で活躍するトップレベルの選手をこれまで多数輩出して参りました。その養成のために各校舎では、25段階を修了したスクール生を対象とした「研修選手クラス」を設け、ジュニアスイマーの育成に取り組んでおります。また、東大阪校を設立して、世界で活躍するオリンピック選手の育成のためにより専門的な指導を行っています。四泳法をすでにマスターしたあなたも、イトマンスイミングスクールで世界の舞台を目指してみませんか?

イトマン選手功績の歴史
1964年
1964年、日本が高度成長期と言われたころに東京でオリンピックが開催された。前畑秀子、古橋広之進ら数々の有力選手を輩出し、日本のお家芸の一つとして期待をされてきた競泳種目であったが、結果は金メダルが0、銀メダルも0、銅メダルはリレーが1つだけと不振に終わった。
東京五輪の結果受けて、当時ロート製薬株式会社のオーナーであり社長であった山田輝郎氏が私財を投げ打って選手の英才教育を目的として設立したのが「山田スイミングクラブ」である。そこでは多くの選手が熱意ある指導を受け「東京オリンピックの雪辱を果たし、競泳日本を復活させる」ことを目標として練習に励んでいた。
当時、日本国内において学校以外による水泳教育機関はほとんど皆無といって良い状態であり、この結果はめざましい成果といえるものであった。後にイトマンスイミングスクールを率いる奥田精一郎、加藤浩時などもこの山田スイミングクラブで指導技術を磨いていった。
メキシコオリンピックで西側よしみ選手が女子200m個人メドレーで6位入賞。
また、中川清江選手が女子平泳ぎ100mで5位入賞。
青木まゆみ選手が女子100mバタフライにおいて悲願の金メダルを獲得。
1973
山田スイミングの解散にともない、中心として指導にあたっていた奥田精一郎、加藤浩時等により商社伊藤萬株式会社のバックアップを得て山田スイミングを引き継ぐ形で「イトマンスイミングスクール」が設立される。翌年第一号となる校舎が大阪市住之江区にてオープン。以降オリンピックに多数の選手を輩出。
モントリオールオリンピックに代表選手5名を輩出。
ロサンゼルスオリンピックに代表選手3名を輩出。
ソウルオリンピックに代表選手5名を輩出。
バルセロナオリンピックに代表選手3名を輩出。
アトランタオリンピックに代表選手6名を輩出。
2000
シドニーオリンピックに代表選手2名を輩出。
中尾美樹選手が女子200m背泳ぎで銅メダル獲得。
山本貴司選手が男子200mバタフライで銅メダル獲得。
アテネオリンピックで代表選手3名を輩出。
山本貴司選手が男子200mバタフライで銀メダル獲得。
山本貴司選手・奥村幸大選手が男子400mメドレーリレーで銅メダル獲得。
北京オリンピックに入江陵介選手ら4名を輩出。
ロンドンオリンピックに入江陵介選手ら3名を輩出。
入江陵介選手が男子100m背泳ぎで銅メダル、男子200m背泳ぎで銀メダル、男子400m目メドレーリレーで銀メダルを獲得。
このリレーにおいて「27人で繋いだタスキ」という感動的な言葉が生まれました。
2020
柔道・講道館で知られる嘉納治五郎氏は「柔道のほか、水泳・長距離走などは男女や年齢、器用さに関係なく体一つで誰でもできるスポーツである」として振興していました。まさに水泳は誰でも始めることができすべての子供達が夢を追うことができるスポーツであると言えます。
この日本中が熱狂できるスポーツである水泳を通して子供達を世界に通ずる人財として育成し、将来、日本を、世界を担ってくれる人間として育てることが私たちの理念です。また、前の東京オリンピックから56年の時を経て開催される2020年東京オリンピック。
山田スイミングクラブ設立に至った先人たちの想いを胸に、私たちイトマンスイミングスクールは多くの選手と共にもう一度日本中の皆さんに勇気と感動を提供し、前の東京オリンピックでの雪辱を果たすべく、皆様と共に歩んでいきたいと思います。

日本選手権水泳競技大会

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①バタフライ、背泳ぎ、平泳ぎ、自由形を他のスイミングスクールで学ばれた方
(イトマンスイミングスクール各校舎の特習・
研修・選手クラス)

②競泳の世界大会を目指したい方
強化校は東大阪校のみです。